Artist
Harumi Yamaguchi
山口はるみイラストレーター
代表作「はるみギャルズ」、70年代以降のポップアート界を牽引し続ける日本を代表するトップ女性アーティスト。スプレーアートで表現された女性たちは、現在でもアーティストやクリエイターたちに多大な影響を与えている。競馬では「馬の親仔」「馬の四季」など手法を変えた表現で発表、女性のみならず世代を越えて人気を博している。
略歴
島根県松江市生まれ。東京芸術大学油画科卒業。
西武百貨店宣伝部、ヴィジュアルコミュニケーション・センターを経てフリーランスとなる。
1969年PARCOがオープン。イラストレーターとして広告の制作に参加。
1975年 マンズワインのためのピンナップポスターを制作。
講談社「Apache」表紙を制作。
フジフィルム立て看板を制作。
フォームフィット・ジャパンのポスターを制作。
アオハタのCFを制作。
1978年 エアブラシによるイラストレーション集「Harumi Gals」を出版。(パルコ出版)
1980年「映画の夢・夢の女」を出版。(山田宏一氏と共著=話の特集)
1983年 KRIZIAの春夏・秋冬雑誌広告を制作。
1987年 キャラオクルスの雑誌広告を制作。
1988年〜1997年 PARCOのB全ポスターシリーズ「のように」を62枚制作。
PR誌「ESPOIR」の表紙を制作。
1994年〜1998年 アサヒグラフに田辺聖子「秋灯机の上の幾山河・吉屋信子伝」の挿絵制作。
1998年 マイカルサティの広告を制作。
1999年〜 つかこうへい劇団「ロマンス」「熱海殺人事件」「二代目はクリスチャン」ポスターを制作。
JRA「優駿」に挿絵を描く。
2000年 渋谷PARCOギャラリーで「21世紀への伝言ー凛として女 山口はるみポスター・原画展」開催。
同展を島根県立美術館(松江)に巡回。
「WOMEN」を出版。(六耀社)
2001年 クリエイションギャラリーG8で、タイムトンネルシリーズVol.13 山口はるみ展「時代のヒロイン」を開催。
2008年〜劇団民藝のポスターを制作。
2012年 新聞小説 林真理子「正妻」の挿絵制作。
2013年 渋谷西武で「Yamaguchi Harumi meets Seibu Shibuya」展開催。
日立PR誌「Realitas」表紙を制作。
2015年 ギャラリーNANZUKA で「HARUMI GALS」展開催。
2016年 札幌ギャラリー・レタラで「山口はるみポスター展」開催。
渋谷PARCOで「山口はるみ展」開催。
「HARUMI GALS」を出版。(HIOSHINA刊)
東京ADC賞受賞。
ニューヨーク近代美術館、川崎市民ミュージアム、アドミュージアム東京、 CCGAに作品収蔵。
東京イラストレーターズ・ソサエティ会員。
2018年 銀座グラフィックギャラリーにて「HARUMI'S SUMMER」展開催。
HARUMIについて | 「女から女たちへ 山口はるみからのメッセージを伝えるもの」文 : 上野千鶴子
70年代。パルコのポスターに登場する、あの鮮やかな女たちをおぼえているだろうか。あの女たちを描いたのはいったいどんな女性なのだろう?
山口はるみ。そのひとの名は、彼女の描く女たちの鮮烈な印象とともにくっきりと刻まれている。
山陰の歴史のある小都市で生まれ、浮き世ばなれした火山学者の家庭で6人兄弟の末っ子として愛されて育ち、芸大に進学して東京という異文化圏に突然登場したちっぽけな少女。2人の兄たちがすでに東京に住まいを持っていたという理由で、家父長のいない兄妹世帯を形成したというエピソードは、まるで戦前の女流文学界の「宇宙人」、尾崎翠を思わせる。
こののびのびとそだった少女は、しかし、思いがけない反骨精神を持っていた。芸大油絵科で芸術家きどりの猛者たちに異文化遭遇しながら、彼女は1点制作のアートではなく、商業美術のイラストレーションに、自分の天地を見いだしていった。
時は60年代。日本が高度成長を完成し、大衆消費社会へとなだれこんでいく転換点だった。女性が消費大衆として前面に登場し、ファッションが注文服から既製服へと移行し、「洋裁」の能力が商品選択の「センス」にとってかわられるその時代の奔流に、彼女はすすんで身を投げ、あまつさえその時代をつくる担い手のひとりになっていった。商品が記号と化し、それに価値を与えるための広告が時代の寵児となったときに、山口はるみは、まるで「複製文化」の申し子のように、この世の中に登場したのだ。
もうひとつ、山口はるみをこの世に送り出した広告主(スポンサー)の存在を忘れることはできない。芸大を卒業した彼女は、当時の西武百貨店に嘱託として勤める。それも百貨店業界を志望した彼女が、高島屋をのぞんで断られたあとのことだという。四年制大学出の女など、どの企業も眼中にない時代だった。業界の老舗、高島屋ではなくて、新興の西武と関係を持ったことが、彼女のその後を決定した。あとから業界に参入していった西武は、池袋立地のマイナスをはねかえすためにも、何よりも「イメージ戦略」を重要視した。西武の宣伝部は、その当時社長の堤清二がみずから陣頭指揮をとるほどに、力をいれた部門だった。
西武の宣伝部で才能を発揮した彼女は、やがて独立し、パルコの増田通二に見いだされる。パルコが新しい都市開発の手法と小売業の業態の提案をひっさげて、消費文化のただなかにうって出ようとしていたときのことだ。それからというもの、パルコのキャンペーンは、次々に登場するはるみギャルズののびやかな肢体と挑戦的な表情とともに、忘れられないものになった。
時代と個性とクライアント(そしてその陰には数多くのプロデューサーやアートディレクター、フォトグラファーやコピーライターがいる)との、希有なそして幸福な出会い。わたしはもういちど、70年代を戦後日本の広告の、いや世界的に見ても、空前絶後の黄金時代だった、と思い返す。商業美術が「商品」という指示対象の制約をはなれて、自由にその創造力を羽ばたかせた時代。広告の担い手たちがスポンサーの下僕ではなく、「クリエイター」として「作品」にその名を刻んだ時代。もう少し早く生まれても、もう少しおそく生まれても、わたしたちの知っている「山口はるみ」は誕生しなかったにちがいない。
「複製文化に対する皮肉を、表現の出発点にしているイラストレーター」。萩原朔美は、山口はるみをこう表現する。彼女は「複製文化」を自分の表現手段にしたが、それにウイットとひねりを加えた。複製文化といえば、光学テクノロジーが可能にした写真とフィルムが、20世紀の新しい芸術ジャンルである。山口はるみの描くイラストレーションは、萩原の表現を借りると「写真的テクニックの反写真的イラストレーション」。いったん写真にとったモデルをエアブラシという当時の新しい技法で描き直す方法を、彼女は採用した。手間のかかる、職人的な、そのうえエアの吸入でからだをこわしかねない手法である。そうやって登場したのは、どこにもいない「はるみギャルズ」だった。
はるみギャルズはエロチックで大胆で挑戦的だが、「エロスとは完全に無縁な場所に存在している」と、つかこうへいは書く。そのとおり、「男がそう感じるエロスとは…」と注をつけたほうがよいだろう。萩原の表現をもじれば、こう言ってもいい。「男性文化に対する皮肉を、表現の出発点にしている女性イラストレーター」。
パルコの女たちから、わたしが直接に受け取ったのはそういうメッセージだった。わたしは冒頭に「あの女たちを描いたのはいったいどんな女性なのだろう?」と問いかけたが、まったく何のためらいもなく、これを描いたのは女性だ、とわたしは直感したのだ。つかこうへいは、いささか皮肉っぽく、はるみギャルズの挑発的なポーズに「私の「男」はびくともしない」と言う。あたりまえだ。パルコの女たちのエロスは、男に向けて発信されてはいないからだ。「男」の視線が幻想する「女」のエロスのシナリオを一見忠実に再現すると見せながら、そこから現実性をはぎとって男のエロスをパロディ化し、「女」を女に奪還するこころみ。マドンナの「セックス」の、20年早いパイオニアとさえ見える。
「ところで山口さんの描く女はいったいどこの国の人なのだろうか」と、萩原は問いかける。わたしはながいあいだ、はるみギャルズは、戦後大衆消費社会の代表である「アメリカ」の記号なのだ、と思っていた。実在のモデルはきっと欧米系の女性だろう。だが、今回彼女の作品集を見直してみて気がついたことがある。萩原は「ほとんどの人が日本人の目なのだ」と、指摘する。そう、はるみギャルズに、青い目の女はひとりも登場しない。褐色の目をまっしぐらにこの「わたし」に向けた女たちは、完璧で無傷なボディーを持った「どこにもいないサイボーグの女」である。そしてそうやって理想化された女性像を、「女の時代」に同時代を生きた女たちは、どんなに追い求めたことだろう。「女の時代」が女性消費者へとささやきかける大型小売り業資本のキャッチフレーズにすぎず、その実、同じ時代に女性は労働市場の周辺に組み込まれていったにもかかわらず、「はるみギャルズ」は女たちにとって、時代の心強い伴奏者であったのだ。
90年代に入って大型小売業界の失速とともに、広告は精彩を失っていく。だが、山口はるみを「過去の人」にするのは惜しい。この10年間、彼女はパルコを広告主として62枚の「自由を求めた女たち」シリーズを描きつづけた。ここにはおどろくほど多彩な分野の女たちが、ひとりの描き手が描いたとはおもわれないほど多様な表現のしかたで、登場する。
このなかには商業広告に登場するのは史上初、と思われるような高名な女性たちがいる。バージニア・ウルフや与謝野晶子が、パルコのポスターに登場するとは、ご本人たちは考えただろか。どのポスターも、本人または遺族の了解を得て作品化している、という。CM出演を断り続けてきたと言われるキャサリン・ヘップバーンも、実際の作品を見て了承したと聞く。事実、どの作品も、簡略なイラストレーションのかたちをとっていながら、おどろくほど人物の内面に届いている。インセスト・サバイバーのバージニア・ウルフは、いかにも神経症的に描かれているし、フランソワーズ・サガンには投げやりなアンニュイの雰囲気がたちこめている。子役のシャーリー・テンプルは、不適なアンファン・テリブルぶりを発揮し、ジョージア・オキーフの狷介さもよく出ている。与謝野晶子の聡明で勝ち気な表情は、時代の意匠であったアールヌーボーのデザインとともに版画調のタッチで描かれ、『青鞜』創刊号の長沼智恵子ことのちの高村智恵子デザインの表紙を彷彿させる。戦前戦後をとおして女性解放のシンボルであった市川房枝は、年齢を超越した童女の趣きを帯びている。
多様で多彩、それぞれに奥行きがあり、自由を求める代償にさまざまな犠牲をはらった一筋縄ではいかない女たちの群像は、一点一点としてだけでなく、その間テクスト性でも、圧倒的なメッセージをわたしたちに伝える。パルコの館内は、10年という息の長い時系列で、山口はるみという作家の作品展の会場となった。「ジョルジュ・サンドのように」「ベッシー・スミスのように」というひかえめなコピーとともに、ひとりひとりの略歴が書きこまれたポスターを、パルコを訪れるたびにむさぼるように読んだ若い女たちは、彼女たちが会ったこともない知らない女性たちの、かがやかしい過去からのメッセージを、パルコのショッピングバッグとともに持ち帰ったことだろう。
自由でありたいと思ったけれど、男になりたいなんて夢にも思ったことはない。自分が女であることを愛し、ほこらしく感じる女たちへ向けて、山口はるみが送るメッセージ。70年代から彼女は変わっていない、とそう確信する。時代が山口はるみを超えたのではない。山口はるみが時代を超えたのだ。
(参考文献) 山口はるみ著・太田克彦編・横尾忠則監修「Harumi Gals」Parco出版
HARUMIについて | 「山口はるみ論序」文:つかこうへい
「したたかさ」という言葉を女性が獲得して以来、女性たちの守備範囲は圧倒的に拡がった。
今、女を描くということは、その心象風景を複雑化することだけではないだろうが、その反面、女の持つ単純なキャラクターをしめ出し、「いい女」をつくりだそうという作業は不幸なことである。
山口はるみ氏の行っている作業は、その複雑化された不幸を、新たにとらえ構成しなおし、それを平面化させることに他ならない。もしかしたら、初めて男たちは、彼女によって挑戦されたのかもしれない。この気負いのない淑女の女性解放運動は不気味ですらあるといってよい。
いうまでもなく、山口はるみ氏の描く"ピンナップ・ガール"たちは、きわめてチャーミングである。それは、たまたま見つけた街の美人ではない。混血することで、次第に美しくなるならば、彼女たちにはもはや国籍はないだろう。そこに描かれたリアリズムは、全く血と汗のにおいを私たちに感じさせてはくれないからである。例えば、いくら人物の影がエアブラシという精緻な手法で、綿密に表現されようとも、彼女たちは立体的には見えない。言い換えれば、彼女たちには後ろ姿がないのである。それは見る者にとって想像力の裏切りとなって迫ってくる。その感覚は近視眼の男が度の強いレンズを通して風景を見た時に似ている。長い間忘れかけていた事物の輪郭を改めて思い知らされ、レンズというフィルターを通して見る存在感の方を信用しなければならない事態である。私たちは、山口はるみというフィルターを通してすでに平面化された、彼女のイラストレーションしか眺めることはできないのである。
しかし、いくら凝視しようとも飽きを感じさせない女は存在しないのに、唯一、山口はるみの美女たちが常に男の目に耐えられるのは、したたかさなどという言葉ではとらえきれない、すごみにおいても妥協しないからであろう。
山口はるみは、女のしとやかさがどれほど欺瞞的な武器であったかを冷徹な目で先取りし、もうこれ以上、ボロが出ないうちに新しいしとやかさを定着させようとしている。そのため、肉感性を極力なくすという罵をはりめぐらしている。それは、たとえば私たちがマヌカンを眺める時と比較できる。
舞台に立ったファッションモデルというものは、きらびやかなスポットライトを浴び、流行の服を身にまとった、容貌、プロポーションとも一応整った美女たちばかりなのではあるが、彼女たちが私たちにエロチシズムを感じさせることはない。それは、ファッションモデル自体担わされている役割が、抽象された美の観念の集大成であり、彼女たちが美しくあればあるほど、逆に性的な存在感が欠落してゆくからである。そこでは確かに、彼女たちが身にまとった衣裳の方が、彼女たちの肉体に優位な位置にある。
山口はるみ氏の彼女たちもまた、女としての肉の匂いを感じさせないように仕組まれてある。あれほど肉感的な美女を描きながらも、そこにはB級の淫らな想像を拒否する態度が貫かれている。むしろそれは、さわやかさとして受け取られても不思議ではない。彼女たちの肉体は私たちの生活空間から完全に解放されている。
むろんそうであるからこそ、完壁なファッションとしての人間を演出できるのである。
ある意味で、山口はるみ氏のポスターが、むしろ女性たちの間に好まれるのは、この現実的なエロチシズムを払拭した部分に、彼女らが安心して魅力を感じられるからなのかもしれない。
「絶対的な父」という存在が失われたいま、若者たちはゆくべき指針を失い、ひたすら成熟することに憟え、幼児性を残したまま揺れ動いている。そういう彼らにとって、脂ぎって肉の匂いのする成熟した女は、恐怖と嫌悪の対象でしかない。充分成熟していながらもエロスの匂いを拭い去った美女たちこそ、完壁に彼らの観念としての女性像を満たしてくれるものなのである。
山口はるみ氏の奇妙な美女たちの存在は、エアブラシという技法を抜きにしては考えられない。
これらのポスターは、一見写真と見まごうほどの精密さで描かれてはいるが、少なくともそれがイラストレーションである以上、そのディテールは作者の視点でデフォルメされているのは当然である。にもかかわらず、私たちは応々にして、山ロはるみ氏の技術的な力量の確かさに惑わされ、デフォルメされていることを忘れがちである。
ポスターの美女たちは、健康的にホットドッグにかぶりついていたり、スケートボードでとびはねていたり、実に屈託なく行為しているように見える。だが、そこに表現された「健康さ」は、私たちに決して汗の匂いを感じさせはしない。それはどんなに動的なポーズをとっていても、筋肉の躍動を感じさせない静的なマネキン人形のそれである。この場合の静的なという意味は、内に動を包み込み蓄積する、動へ向かう過程としての「静」ではない。言い換えれば一瞬のシャターチャンスをものがさないカメラマンのとらえた連続する行為の中の一瞬ではなく、ただ何もない空間にポッカリと出現した、そこに「ある」という意味での「静」なのである。が、それ故にそこに描かれた美女たちは他の何者でもなく、まさしく山口はるみの美女なのである。
同時に私たちは、その美女たちのまとっている衣装の何気ない襞や皺、翳などが、実に微細に描き込まれていることに気づくだろう。あれは皮膚ではない。布である。しかしこれもまた、そこに表現された「布」が、現実の布に似せてあるというより、既にそれを突き抜け、ありそうだが決してどこにもない、美しく手ざわりのよい布として描かれているのである。それ故、木綿を描いても化織を描いても、まるでビロードのような光沢と妖しさを常に宿しているのである。肉体も事物も同一次元で描ききってしまう彼女特有のリアリズムは、彼女によって仕組まれたーつの観念として抽象されたものなのである。
つまり、山口はるみ氏の美女たちは、実にさりげなく、ただそこに「ある」という風にしか存在していない。だからこそ、生活感や現実性を全く感じさせない。それは山口はるみ氏の観念としての美女なのである。
泳いでいる美女は「泳いでいる美女」という存在でしかなく、例えばその美女が泳ぐ以外の行為をとる姿を私たちが想像できないように仕組まれている。それは、表現された時点ですべてが完結しているからなのではなかろうか。泳ぐ美女は「泳ぐ」という行為以外のすべての意味を頑に拒んでいる。
だからこそ、アメリカのコミック誌に登場する豊満な美女たちに私たちが託すような形での思い入れは、たちまちにしてはねかえされてしまう。想像するという領域においてエロスが醸成されるとするならば、そういう想像を拒否することで、山口はるみ氏の美女たちは、エロスとは全く無縁な場所に存在している。
山口はるみ氏のポスターやイラストレーションの世界は、恐ろしいほど完壁に自己完結している。だからこそ、そのポスターが街角に貼られたり、車内吊りにされた時、まるでその部分だけが私たちの現実に突然割り込んできた異次元の世界ででもあるような錯覚を与えるのである。事実それは、私たちがふと垣間見た、キャンバス型に四角く切り抜かれた山口はるみ氏の観念世界なのである。
満員電車の車内広告に拡がる小宇宙は、ひたすらその世界を守り続けることによって、頑に風景に同化することを拒みつづける。決して声高に自己主張することはない。その毅然とした拒否の姿勢に、私は描くという手仕事に賭けた山口はるみ氏の執念をみる思いがするのである。
ともあれ、狎れあうこともなく、さりとて冷たくつきはなすのでもなく、ただそこにあるがままの美女たちは、いまのところ私たち見る者に、常に一定の知的な距離のとリ方を選択せしめている。その限りにおいて、彼女たちがどんなに肌も露に、どんなに挑発的なポーズをとろうと、私の「男」はびくともしない。
私がふと不安になるのは、充足しきったかのように行為に没頭する美女たちが、ある日突然、叛乱を起こすのではないかと考えた時である。ひとたびそうなった時、美女たちはそれまでの挑発的なポーズを棄て、実につつしみ深く戦士に変身することだろう。
まるで修道尼を思わせる地味な黒衣に身を包んだ彼女たちが、少しはにかんで、ういういしくほほえみかける姿は、まるでなまめかしい生物のように彼女たちの身体にまとわりつく「布地」とともに、抗いがたいエロチシズムを放射しているはずである。
エロスから最も遠くに身を置くことが、実は最もエロチックであるという理論は、戦慄的ですらある。見る者をふと不安にする、そんな逆説的なエロチシズムを仕掛ける山口はるみ氏の育ちの良さは、私にとって確実に脅威としてある。
山口はるみが裸を描いている時はいい。下着をつけさせはじめると恐い。その時、きっと山口はるみは、
「いいんですか、私に下着つけさせて」と、まるで処女のごとく傲慢に顔を赤らめるであろう。
この人ほど、腕まくりした時こわい女はいない。
HARUMIについて | 「噴出するものと抑えつけるもの」文 :吉行淳之介
山口はるみさんの絵というと、たとえば色川武大著『怪しい来客簿』のカバーや各篇のイラストに見るように、素朴のようでしたたかで、単純のようで内側で蠢くものの感じられる線描きのものと理解していた。これは一年に合計四、五回、山口さんに会ったときの印象と符合していた。どういうときに会いどういう印象かといえば、「話の特集」社の歳末マージャン大会であって、雀卓に向かって淑やかに端座し、背筋がしっかり伸びているのが特徴で、私はなんとなく山口さんは書道家の娘さんと思いこんでいたが、学者の娘なのだそうだ。牌を扱う手つきも折目正しく、 けっして荒々しい音など立てないのだが、そのうちしずかに手牌を倒して、 「それでございます」と和了ってしまい、それが倍満だったりする。
ところが、しばらく前からときどきエアブラシを使ったなにやら不気味な女の絵が眼に触れるようになり、それが同じ山口はるみさんの手によるものと知ったが、その絵はこれまでの印象からはみ出すものではなかった。あの絵の女たちは、私の眼には、その表面がかすかに熔けて、一見薄くて破れ易そうだがじつは強靭な、それも皮革のもつそれでなく、軽金属が皮に化けているような強靭さにみえる。そのため女たちの中身の女らしさ(もちろん、この中には妖怪性もその他もろもろの禍々しいものも含まれる)は、表面から数ミリ下のところでとどまって、渦を巻いている。それは少しずつ惨み出るという形は取れず、なにかの拍子に小さい穴でも明けば、もう大変、エロチックな絵だとおもってピンナップしていたりしたら、大騒動になってしまう。
いつか場末の映画館で見たフランス製のポルノに、感心したのがあった。一つのシーンで、重要な役柄は生身の人間が演ずるが、ほかはみんなマネキン人形で、これはなかなかの趣向であった。一つの表情のまま眼を開きっぱなしにしている、無表情といってもよいつるつる光る肌の人形の傍で、本ものの男女の肌が絡み合っている図は、エロチックな趣を通り越して、不気味であった。そういう一場面をそっくり急速冷凍して、絵の世界に置き替えたようなところを、山口はるみさんの絵に私は強く感じる。一度、そのイラストで作品を書いてみたい、とおもっている。
Works
競馬関係
スペシャルウイークと武豊
イソノルーブルと松永幹夫
エルコンドルパサーと蛯名正義
テイエムオペラオーと和田竜二
トウカイテイオーと田原成貴
グラスワンダーと的場均
キングヘイローと柴田善臣
アグネスフライトと河内洋
シンボリルドルフと岡部幸雄
ナリタブライアンと南井克巳
その他
キャッチャー
スーパースター
シルヴァーウィンド
ワォ
フラフープ
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パルコのポスターに描かれた、力強く艶やかな「はるみギャルズ」のファンでしたが、馬や競馬の絵を描かれることを知って驚きとともに嬉しくなりました。騎手と名馬のシリーズは似顔や馬の特徴といったディテールだけでなく、馬と騎手との心の交流まで描かれているように感じ、本当に競馬がお好きな山口さんにしか描けない作品だと思いました。他の名馬と騎手のバージョンも観てみたいです。
遅ればせながら個展を見に行きました。いつ見てもはるみギャルズいいですね。会場も凝っていて見せ方も楽しかったです。でもどこで見ても誰がいじっても作品の良さが感じらるのは改めて凄いと思いました。これからも応援しています。
家内がはるみさんのファンでプレゼントで購入しました。想像以上に素敵なイラストで大満足です。早速玄関に飾らせていただいています。これからも作品を楽しみにしています。