Artist
Hisae Imai
略歴
1931年 東京に生まれる。
1952年 文化学院美術科卒業。
1959年 日本写真批評家協会新人賞受賞。
1960年 カメラ芸術・芸術賞受賞。
1969年 タイムライフ社「Great print makers of today(世界の20人の写真家)」の一人に 選ばれる。
1971年 エッソスタンダード石油広報誌の作品に対し、米国の「Society of publication designers 1971 annual award show」銀賞受賞。
1978年 日本写真協会年度賞受賞。
「Great photographers in the 20th century(20世紀の偉大な写真家達)」 (ヨーロッパ・アメリカにて出版)に選ばれる
2006~7年 「武豊デビュー20周年記念」写真集および写真展協力
2009年 逝去
2010年 2009年度JRA賞馬事文化賞功労賞受賞
プロフィール
寄稿『ROUNDERS』誌 文 : ハイランド真理子
〜今井壽恵さんとの出会い
日本を代表する女性写真家で競馬の写真を長い間撮影してきた今井壽惠さん。彼女と私は、 およそ30年前にオーストラリアで出会った。オ ーストラリアに来てまだ間もない私が、短い会社勤めを経て、自分の会社を立ち上げた頃のことだ。血統評論家で作家の山野浩一氏が、日本の競馬界を代表する人々をオーストラリアへ頻 繁に連れてきていた時期で、今井さんも山野氏 が連れてきたひとりであった。
年末から正月にかけてオーストラリアにやってきて、パースで 開催された大きなレースを観戦した。競馬のことが分からずまごまごする私に、今井さんは優 しい言葉をかけてくださり、折しも元旦が誕生日の私にプレゼントをくださったことを覚えている。彼女とのお付き合いはそれからのことだ。 とはいえ、オーストラリアに住んでいる私は、長いお付き合いの中で数回お目にかかっただけ。
今井さんと最後に会ったのは、彼女の77歳の誕生日の時であった。私は偶然日本にいて、元競馬新聞記者でノンフィクション作家の吉永みち子さんと、京王プラザホテルでお話をしていた。「この後、私、今井さんのパーティーに出るんだよね」と言うので驚いた。招待状はなかったけれど、吉永さんに同伴して会場へ出かけた。私の顔を見て驚く今井さん。私たちはハグで挨拶を交わした。偶然が出会わせてくれた嬉しい機会は、その後まもなく今井さん 逝去の悲しいニュースに変わってしまった。 それでも、最後にお目にかかれたのは、幸運 であった。
一昨年閉めた私の事務所には、長い間、今井さんの写真が何枚も額縁に入れて飾ってあった。その中に、雪の中を疾走する馬たちの写真があった。「今井は、雪の中に穴を掘って、その中で写真を撮ったんです。ベストシ ョットが撮れるまで何時間も穴の中で待っていました」―今井さんのアシスタントで、 後にパートナーとなった長濱直人さんが生前にそう教えてくれた。この写真は未だに拙宅に飾ってある。 今井壽惠という人物をひと言で言い表すのは難しい。競馬写真家だろうか(英語ではレーシングフォトグラファーやエクワインフォトグラフ ァーと呼ぶ)?どうもそうしたニュアンスの言葉では、彼女を捉えられない気がする。 彼女は馬だけを撮っていたわけではないし、淡々とレースを記録していたわけでもない。 彼女の写真を見る者は、たとえ被写体が馬であっても、確実にそれ以上の何かをそこに感 じる。彼女の演出するドラマが、写真の中には隠されているのだ。私は、そんな写真を撮りつづけてきた彼女自身のドラマ、そして、 彼女と馬たちの物語を知りたい気持ちになっ た。
〜生い立ち
今井壽惠さんは、1931年の7月19日に 生まれた。東京、銀座松屋デパートの写真室を経営する家庭に育った彼女は、1921年に文化学院の美術科を卒業している。文化学院は、 与謝野晶子、与謝野鉄幹らが、画家の西村伊作とともに、1921年に創設した学校で、当時の中学校令や高等女学校令に縛られることなく、一流人たちによる自由な教育方針を掲げる、めずらしい校風の学校であった。今井さんは、久我山の立教女学院を中退し、この学校の美術科に入学した。
当時の様子を綴った彼女自身の文章を読むと、多感な時期を文化学院で過ごしたことが、今井壽惠という芸術家・写真家の原点のひとつになっていることがよくわかる。「1950年頃、日本は貧しく質素だったが、 文化学院美術科の村井誠先生のアトリエは、 心豊かな雰囲気だった。コッペパンにコロッケをはさんだ昼食は学院のそばのパン屋さんによく買いに行った。そしてもう 1つのコッ ペパンだけは友達の希望で求めた。そのパンは食べずにアトリエの何人かの人達に分けら れ、木炭の消しゴムがわりに使われた。私以外のアトリエの生徒はプロを目指すほど勉強し才能の光った絵を描いていた。柳宗理先生のオートマティズムの訓練と試作、村井先生のモダーアート的な資格、その 一連の勉強の中で、写真家マン・レイの作品にも啓蒙を受けた。映像への自由な資格を育てていただき、そして感覚的な友人がいて、私は写真家への道を進むとは考えられなかっ た。
オートマティズムの訓練にコラージュの手 法もあり、印刷物だけの使用に物足りなく、 写真を撮りいたずらをしてみた。写真の非情な表現方法に興味が持てた。写真は撮りたいものが写らず、写したくないものが撮れてしまう、絵は仕上げまでは時間がかかるが、消したり描き足したり、主観的な作業ができる。 学院を卒業する頃には、画家を志すより、主観的な写真表現をしたいと思うようになっ た。」
〜カメラを手に
学生時代によく旅をした今井壽惠さんに、 父の康道さんがカメラを持たせ、露出の決め方などを教えた。学生時代を終えた彼女は、結婚もしたいが、その前に何かを残しておき たいという思いを抱えていた。そんな折、父の友人で、当時富士フィルム宣伝部長だった平松太郎氏から、写真展をしないかと勧められた。彼女は、横須賀の海辺、御宿海岸など に行き、カメラを構えた。海辺に打ち上げられた魚の死体、捨てられた冷蔵庫、海草や貝殻―自分の中にある自分だけにしか見えない光景を撮った。
初の写真展「白昼夢」は1956年に開催された。翌年には、北海道を旅して撮影した写真を集めた写真展「夏の記憶」を開いた。 ところが、それらの写真は、専門家たちからは評価されず、「文学的すぎる」「策に溺れすぎる」とむしろ酷評された。しかし、専門家 たちが酷評したそうした彼女の個性こそ、単なる記録としての競馬や馬の写真を、文学性や芸術性を持ったレベルにまで高め、さらに、外部の世界からは賭博としてしか見られてい なかった競馬そのものの地位を高みに押し上 げる要因となっていったのであった。
今井さんは、敬虔なキリスト教信者でもあった。誰にでも深い愛情を示す彼女の生き方には、彼女の信仰が反映されているように思う。しかし一方で、この信仰ゆえに、彼女の 家族は戦時中に理不尽な迫害を受けている。 疎開先の三島で、「神国日本を滅ぼそうとし ている異教徒」ということで、父の康道さん がスパイ容疑で特高警察に拘束され、拷問を受けたのだ。戦争の恐ろしさは、空襲や銃ではなく、「大衆までも加わった軍国主義の野蛮な暴力」、「人間性を失った市民たちの凶暴さ」にあったと今井さんはあるインタビュー の中で語っている(小堺昭三『カメラマンたちの 昭和史』)。この体験が彼女の芸術作品の原点の一つだったのではないか、と聞き手の小堺昭三氏は記す。確かに、彼女の作品には、人と迎合しない孤高の気高さが感じられる。
同じインタビューの中で、今井さんは自分の写真についてこう語っている。 「ひとことで言えば、詩の世界の映像を定着させようということなのです。それには幅の広い次元を表現することが必要なので、モンタージュなどのテクニックもかなり使います。 でも、問題なのは要するに、次元の異なる不思議さといったようなものを、どのように表わすかということですから、一枚一枚の写真はそんなに変わってなくても、何枚か重なっ ていった場合に、その映像が不思議な映像になっていればいいわけです。わたしの写真のなかに出てくる風景は、ぜんぶ自分でこしらえた風景なんですが、ということは現実の世界をそのまま写すというのじゃなしに、あるていど自分でつくった世界を写すというふう に、完全に切りかえてしまっているわけですね」
映画に興味を示し、実際に短編映画を製作 (ジャズと映像を組み合わせた「ジャズる」、友人の寺山修司氏がシナリオを書いた「ポール」などを発 表)した時期を経て、今井さんは写真家としてめきめき頭角を現していった。フォトポエ ム「ロバと王様と私」で第三回日本写真批評家協会新人賞を、「オフェリア・そのご」で カメラ芸術・芸術賞を受賞し、高円寺にスタジオを作るまでになった。
〜馬に旅して
さて、女流写真家の第一人者となった今井壽惠さんだったが、 歳の時に大きな不幸が彼女を襲う。仕事を終えタクシーで帰宅中に、 大きな事故に巻き込まれたのだ。タクシー同 士が正面衝突し、後部に座っていた彼女は、 車のフロントガラスに激しく投げ出された。 シートベルトのない時代だった。病院に運び 込まれ一命はとりとめたものの、顔面に大き な怪我をしただけでなく、失明の危険に瀕した。療養生活は三年に渡り、二年間は闇の世界で暮らさなければならなかった。妹の邦子さんの話では、今井さんにとって最大の痛手は、当時の婚約者が、病床の彼女を捨てて婚約を解消したことであったという。
幸いにも彼女の視力は回復し、なんとか生きる意欲も湧いてきた。そんな折に「アラビ アのローレンス」という映画を観た。画面の中の馬たちに、彼女はしびれるほど強く惹き付けられたのであった。「昔から馬に対する憧憬がありましたが、アラビアのローレンス に登場したアラブ馬の群れ......あれには全身がしびれてしまったのです。馬にはほかの動物にはない気品、優しさ、駆ける美しさ、それでいて、ほかの動物より脆い面がある。そうしたことが、私を捉えてしまったのです。」 こうして今井さんの馬への旅が始まった。
彼女は高円寺のスタジオを売却した。そのお金を旅費にして、ドレスの一杯詰まったスーツケースを抱えて船に飛び乗り、ヨーロッパへ渡った。映画「マイフェアレディ」に出 てきた競馬場がいいなと思い、ロイヤルアス コット競馬場へ向かった。もう馬だけが、彼女のすべてになってしまっていた。
〜馬の写真に情感を持ち込む
今井壽惠さんはよく馬と話した。「ねえ、 どうして意地悪なの?」とか、「大人しく撮らせてくれなければ、嫌いになっちゃうから」とか。「今井先生は、ひょっとして馬の言葉をおわかりになるのではないかと思わせるようなエピソードがたくさんありました。 普通なら差されてしまった馬中心の構図にな ってしまう状況でも、先生はゴール数メートル手前で、これは違うと感じて、差し切る方の馬にカメラを切り替えていらっしゃったそうです」。後年、今井さんと親しい友人となった鈴木淑子さんはそう語ってくれた。
「馬の写真はその馬を最高に表現したものが 一枚あればいい」―故・和田共弘さんの言葉だ。今井さんは、撮影の前から、どの馬を どこでどのように撮りたいかはっきりと決めていたという。しかし、撮りたいロケーショ ンを見つけたとしても、その日はその馬がやってこないかもしれない。やってきたとしても、その馬を〝最高に表現した〞 1枚が簡単 に撮れるわけではない。
「その1枚を撮るためには、その馬をずっと追いかけ、その馬と心中するつもりで撮り続けなければならない。大きな賭けですよ」と彼女は語り、馬を追いかけ、最高の瞬間を待ち、撮り続けたのだ。
追いかける、心中......彼女が残した言葉のここかしこに、女性としての情念が表現されている気がする。先の小堺氏は、今井さんにとって馬は男性のようなものかと聞いているが、躊躇しながらも彼女はそうだと答えた。 生前大変親しかった高橋直子さんに、今井さんは「情感を馬の写真に持ち込んだのは、私が最初かも知れません」とも語っている。
〜ゼッケン1番のジャケット
今回、今井壽惠さんを知る多くの人々に話を聞かせてもらった。そこでは誰もが、彼女 の人柄の暖かさを語った。
ある競馬雑誌の編集者は、「仕事に関して厳しいところがあったけれど、馬と人にはと ても優しい方だった」と語る。2008年のブリーダーズカップでのこと。その編集者は、 今井さんと一緒に早朝の調教を撮影に向かった。真っ暗な現地。駐車場の場所が分からず、 日本馬の馬場入りに間に合わなかった。「今井さんは、『廐舎では昨日撮影したからもういいわよ。それより欧州馬を撮っていないからコースの方に行きましょう』とおっしゃた んです。その日は、のんびりと撮影をしてコ ーヒーを飲んで談笑していました。朝の失敗を、僕が必要以上に気にしないようにという今井さんの配慮だったことがよく分かりました。大きな失敗だったことは明らかだったのですが、当日も含めてその後、このことに関して注意されたり責められたりすることは一 度もありませんでした」。その編集者にとっ て、今井さんと一緒にサンタアニタ競馬場のラチ沿いで飲んだコーヒーは、彼女と過ごした最後の思い出となった。
別の編集者は、やはり海外での今井さんの姿を思い出しながら語る。「多くのG1レー スが行われるブリーダーズカップの撮影は若 いカメラマンにとっても重労働ですが、重い機材を持ちながら、もっとも精力的にパドックとコースを行き来されていたのは、他でもない今井先生だったと記憶しています」。それは70歳を過ぎても変わることがなかった。
その感想は、日本人だけでなく、欧米の人たちももっていたに違いない。鈴木淑子さんがこんな思い出を語ってくれた。「年代から、ご自身で海外に行かれて、道を開かれてきたのですから、海外のどこの競馬場でも調教場でも、カメラマン仲間から大変リスペクトされていました。外国ではベテランカメラマンから順番に写真を撮る場所を取り、そこに自分の名前を書いたテープを貼るのですが、イ ギリスでもフランスでもアメリカでも、現地のカメラマンの方が自分の隣はヒサエ・イマイだと、先生のために場所を取ってくれていました。
競馬場に行くと、カメラマンは番号のついたジャケットを身につけて写真を撮るのですが、あのディープインパクトが出走した2006年の凱旋門賞では、今井先生が 1番のジャケットを着ていらしたのです。世界中から集まったカメラマンの中のゼッケン 1番。私たち日本人にとっては誇りに思えた瞬 間でした。別の編集者は、やはり海外での今井さんの姿を思い出しながら語る。「多くのG1レー スが行われるブリーダーズカップの撮影は若 いカメラマンにとっても重労働ですが、重い機材を持ちながら、もっとも精力的にパドッ クとコースを行き来されていたのは、他でもない今井先生だったと記憶しています」。
それは70歳を過ぎても変わることがなかった。 その感想は、日本人だけでなく、欧米の人たちももっていたに違いない。鈴木淑子さんが こんな思い出を語ってくれた。「年代から、ご自身で海外に行かれて、道を開かれてきたのですから、海外のどこの競馬場でも調教場でも、カメラマン仲間から大変リスペクトされていました。外国ではベテランカメラマンから順番に写真を撮る場所を取り、そこに自分の名前を書いたテープを貼るのですが、イ ギリスでもフランスでもアメリカでも、現地 のカメラマンの方が自分の隣はヒサエ・イマイだと、先生のために場所を取ってくれていました。競馬場に行くと、カメラマンは番号のついたジャケットを身につけて写真を撮るのですが、あのディープインパクトが出走した2006年の凱旋門賞では、今井先生が 1番のジャケットを着ていらしたのです。世界中から集まったカメラマンの中のゼッケン 1番。私たち日本人にとっては誇りに思えた瞬間でした。」
〜ロバと王様の私
今井壽惠さんの作品を私はすべて見ているわけではない。しかし、今回記事を書くにあたって、様々な人に、彼女のどの作品が好きかを聞いたときに、ほとんどが私が好きだと思った作品だったことに驚いた。雪原の中を疾走するサラブレッドの一群。彼自身の狂気を含んだ厳しさが感じられるヌレエフ。燃え盛る炎、あるいは紅葉を連想させるオレンジ の背景に立つ黒鹿毛のナリタブライアン。光と影、構図、馬の表情や形が美しく透明感が あるシアトルスルーやヌレイエフ。今井さんらしい暖かさが感じられるアファームド。そこには馬への情感や女性としての情念が満ち溢れている。
今井壽惠さんがかつてフォトポエムの展覧会で使ったタイトルは、「ロバと王様とわた し」。フランスのジャック・プレヴェールの「五月の歌」というタイトルの詩の中に、その一節が出てくる。私には、この詩が彼女の生き方を象徴しているように思えてならない。
「五月の歌」 ジャック・プレヴェール
ロバと王様とわたし
あしたはみんな死ぬ
ロバは飢えて 王様は退屈で わたしは恋で
白墨の指が 毎日の石盤に みんなの名を書く
ポプラ並木の風が みんなを名づける
ロバ 王様 人間と
太陽は黒いぼろきれ
みんなの名前はもう消えた
牧場の冷たい水 砂時計の砂
バラ色のバラの木のバラの花
小学生の道草の道
ロバと王様とわたし
あしたはみんな死ぬ
ロバは飢えて 王様は退屈で わたしは恋で
時は五月
いのちはサクランボ
死はその核(たね)
恋は
サクランボの親の木
Works
四季
「回想のウィンドフィールズ・ファーム」Northen Dancer (1978)
「緑の風(1974) Green wind」
「雪の上を走る若駒(1987)Colts run on the snow」
「風に向かって (1987) Run against the wind 」
美しい競走馬 | レース
「オグリキャップ(1991) 黄色の光の中で」
「サンデーサイレンス(1991) The personality 寛ぎの時」
「ノーザンテースト(1992)The golden breeze 馬房にて」
「テンポイント/トウショウボーイ The Arima Kinen 1977」
販売作品
今井壽恵 「シンボリクリスエス Black defier The Tenno Sho 2002 (Spring) 」 ¥275,000 商品詳細へ
今井壽恵 「サイレンススズカ The Takarazuka Kinen 1998 」 ¥275,000 商品詳細へ
今井壽恵 「 ウオッカ Nippon Derby 2007 74th Derby Winner sired by former Derby winner 」 ¥330,000 商品詳細へ
今井壽恵 「クロフネ Exultant couple The Japan Cup Dirt 2001 」 ¥275,000 商品詳細へ
今井壽恵 「タイキシャトル Go ahead ジャック・ル・マロワ賞 1998 (仏) 」 ¥275,000 商品詳細へ
今井壽恵 「エアグルーヴ The Tenno sho 1997(Autumn) ¥275,000 商品詳細へ
今井壽恵 「シンボリルドルフ The Arima Kinen 1985 」 ¥330,000 商品詳細へ
今井壽恵「ミスターシービー&シンボリルドルフ The Tenno Sho 1985 (Spring)」 ¥275,000 商品詳細へ
今井壽恵「テンポイント/トウショウボーイ The Arima Kinen 1977」 ¥330,000 商品詳細へ
今井壽恵「ディープインパクト The glow of phoenix(Japan Cup 2006」 ¥330,000 商品詳細へ
今井壽恵 「寒い冬の朝に (1987) On a cold morninng 」 ¥275,000 商品詳細へ
今井壽恵 「風に向かって (1987) Run against the wind 」 ¥275,000 商品詳細へ
今井壽恵 「風の中へ (1994) Up the wind 」 ¥275,000 商品詳細へ
今井壽恵 「(1991) The sleeping farm 」 ¥275,000 商品詳細へ
今井壽恵 「好奇心 (1990) Curiosity 」 ¥275,000 商品詳細へ
今井壽恵「ジェネラウス (1993) The cool reason 凍れる時間 」 ¥275,000 商品詳細へ
今井壽恵「柵を越えて (1974) A boundless friendship 」 ¥330,000 商品詳細へ
今井壽恵「朝焼け (1975)」 ¥275,000 商品詳細へ
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今井壽恵 「対称 (1986) Side by side 」 ¥275,000 商品詳細へ
今井壽恵「ジェネラウス (1993) The cool reason 凍れる時間 」 ¥275,000 商品詳細へ
今井壽恵 「シアトルスルー (1990) 光あふれて 」 ¥275,000 商品詳細へ
今井壽恵 「ヌレイエフ (1988) The eyes 孤高 」 ¥275,000 商品詳細へ
今井壽恵 「ウオッカ (2009) Our Gracious Queen 」 ¥275,000 商品詳細へ
今井壽恵 「テイエムオペラオー (2000) Golden ruteer 」 ¥275,000 商品詳細へ
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今井壽恵「メジロマックイーン(1993) A standing elegance 優雅に立つ」 ¥330,000 商品詳細へ
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